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中東

2011年2月24日 (木)

【宮家邦彦のWorld Watch】「1978年体制」の終焉? 産経新聞2011年2月24日朝刊

詳しくはこちらをお読みください。

2011年2月10日 (木)

【宮家邦彦のWorld Watch】中東「民主化」のジレンマ 産経新聞2011年2月10日朝刊

詳しくはこちらをお読みください。

2010年4月 8日 (木)

【宮家邦彦のWorld Watch】イスラムと民主主義、両立するか 産経新聞2010年4月8日朝刊

 普天間の話はもう食傷気味なので、イラクの話を書きました。ポイントはイスラムでも民主主義はできるはずだということですが、今のイラクの状況を見ていると自信がなくなりそうです。詳しくはこちらをお読みください。

2009年2月25日 (水)

【海外出張】イラク出張 2009年2月20日~25日

 2月25日に中東から帰ってきました。1月28日に続き再びバグダッドに行ってきました。状況は1月と基本的に変わっていませんが、1月末の地方議会選挙で勝利したマリキ首相が自信を持って執務している姿がとても印象的でした。



 ようやくイラクがイラク人による政治を始めたのだなぁと実感しました。これが吉と出るか凶と出るかはまだ誰も分かりません。イラク戦争後のイラク政治はまだ第二楽章に入ったばかり、最終楽章がどうなるかはまだ誰も知らないのではないでしょうか。


2009年2月16日 (月)

【日本記者クラブ研究会】米新政権と中東情勢 2009年2月16日

 2月16日午後、日本記者クラブで「オバマ政権と中東情勢」に関する研究会があり、中東調査会の中島勇主任研究員、東洋英和女学院大学の池田明史教授とともに出席しました。司会は日本経済新聞の脇祐三論説委員でした。



 彼らのような優秀な中東専門家と一緒の会合は何故かいつも大変緊張します。私の場合は一日24時間中東をフォローしている訳ではないし、単にエジプトでアラビア語を二年間研修し、在外でイラクに二回勤務しただけですから、知識量では本チャンの専門家にとても敵わないと思うからです。



 更に、古巣の外務省の中にすら、私が昔中東の担当官であったことをご存じない方も時々おられるので、正直困ってしまいます。 というわけで、16日は朝から猛勉強でした。その甲斐もあり、結果としては何とか専門家たちに追い付けたかな、と自分なりには安堵したのですが・・・。



 内容については追ってご紹介します。



 


2009年2月 1日 (日)

【海外出張】安倍総理特使のバグダッド訪問 2009年1月28日

 今だからお話できるのですが、実は1月28日にバグダッドに行ってきました。安倍元総理イラク訪問のお供で久しぶりにイラクへ戻ったのです。今回安倍さんは麻生総理の特使としてイラクを訪問され、タラバーニ大統領らと会談するとともに、「日イラク・パートナーシップ宣言」を纏めてきました。



 この宣言は国連安保理決議に基づく外国軍駐留権限失効後の日・イラク関係を規定する基本文書であり、とても重要なものです。今次訪問の詳細は外務省のホームページにも記載があるようですから、ここでは省略しますが、私にとって5年ぶりのバグダッドは個人的にも実に感慨深いものでした。



 今回はその理由について書いてみたいと思います。



 第一に、安倍晋三という人に初めて会ったのは1983年のバグダッドでした。当時彼は安倍晋太郎外務大臣の政務秘書官でした。私は大使館の二等書記官、私の下手なアラビア語通訳で大臣には随分ご迷惑をかけたという苦い思い出もあります。思い返せば、何と26年も前のことなのです。



 第二に、今回は不思議なご縁を感じる「出会い」がありました。1月28日のイラクといえばイラク統一地方選挙の直前で、マリキ首相も急遽遊説のためバグダッドを離れざるを得ませんでした。その首相に代わって安倍特使を迎えたのはバルハム・サーレフという副首相です。



 この男こそ、私にとっては初めてのイラク人の親友なのです。1991年当時、バルハムはクルド愛国同盟(PUK)在ワシントン事務所の初代所長でした。当時私は大使館の一等書記官で、ようやく信頼できるイラク人(彼はクルド系ですが)に出会えたと非常に喜んだものでした。



 そのバルハムが今や副首相として安倍総理特使と会談をする。その場に自分が同席できるなんて、これが奇遇でなくて何だろうと思いました。バルハムとは彼がイラクの計画大臣として訪日して以来、4年ぶりの再会でもあります。世の中は実に狭いのです。



 さて、最後にバグダッドの治安について一言。今回は空港と旧グリーンゾーンの周辺しかわかりませんが、それだけでも米軍のプレゼンスは大幅に低下していました。イラク軍・警察による治安維持は既に一定の成果を出しつつあるように見えました。



 当然ながら、「もう安全だ」と言い切ることは出来ません。しかし、治安が最悪だった2006-7年は勿論、私が勤務していた2004年と比べても、全般的に危険の減少は顕著でした。こうした状態が今後も長く続くことを心から祈っています。